元号が「令和」と定められた。元号が変わる時期が世界経済の大きな変動期に重なってきた。また大規模地震などの災害が起きる可能性は非常に高いだろう。不動産投資・マンション売買ティップス。
#不動産 #令和 #政治 #経済 #マンション #不動産投資
※不動産コンサル・ホームインスペクション・マンション管理コンサルのさくら事務所 http://sakurajimusyo.com
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「当時は海面が高くなかった」→「当時は海面が高かった」の間違いですw
大災害!地震列島の日本に住んでいる限り避けて通れないですね。
イデコで北米リート買います
元ネタは漢籍です。
読み手の張衡が腐敗した政治に嫌気を刺し、田舎に帰る時に読んだ歌に令和が入ってます。
その時の皇帝は安帝です。
なんと皮肉なと思いました(笑)
あと、元号の意味と実社会は逆になっているので、令和は戦争、テロ、自然災害が起きそうです。
地盤の優劣の情報が今後、土地の評価に大きく影響を与える可能性を示唆してくれており、より多視点で不動産の価値評価を実行していこうと思いました。難しい話を聞きやすく話してくださるのでとても勉強になります(_ _)すぐに鑑定士などどディスカッションしてみて現行の評価の矛盾点や限界なども調べていこうと思います。長嶋先生のお話を聞いていると、いろいろな土地評価の着想をいただけます。
また、人工地震かー
プレートテクニクス理論は既に破堤しています。
中古マンションの選び方、資産価値が下がりにくいマンションとは、どの様なマンションでしょうか。このような動画があれば、嬉しいです!
東京都心部の地価がイギリスや香港と比べるとかなり安いのは、地震等の災害を見込んでいるからでしょうか?
いつも拝見させていただいてます。
4:36あたりの国土地理院の地図ですが、色別に低地が分かるように表示するにはどうすればいいでしょうか、、?
情報タブの「起伏を示した地図」でしょうか、、?
元号とは、西暦表記とは別のもので我が国では古来より天皇制と並行して制度化されてきたものである。
そもそも古代の中国の皇帝が、広大な領土を目の前にして、時間と空間を支配するために使用したいわば道具のようなものからはじまり、元号と暦法を用いることがやがて当時の皇帝への服従の証しとなった。その後日本に輸入され、645年の大化の改新に際して「大化」が用いられたのが最初である。
私は姓名学を学んでいたのも手伝ってか、この元号という文字から即座に様々なものを連想しました。「平成」…平たく成る?「明治」…明るく治める?「大正」…大きく正す?という具合に、漢字やその意味から飛躍して時代背景を振り返るようになったのだ。
そして、「元号により時代のひとつのイメージが刷り込まれ、政治・経済・風土・文化など様々な分野に影響が及ぼされるのではないか?」
「元号が映画のフィルムの役割をなし、その時代を映し出すのではないか?」という仮説に行き着いた。
今の時代、先行き不透明で変動性の激しい世の中になった。政治・経済をはじめとした国の先行きや特性を知る上で、元号論というひとつの概念を提唱したい。
【中国の文化大革命は、元号制をやめたリバウンドによるものだ】
中国において元号が使用されたのは、1945年、清朝最後の皇帝で旧満州国の皇帝、愛新覚羅ふ儀の満州国のときの康徳までで、1949年以降は中華人民共和国の統治になるため西暦が使われるようになった。歴代皇帝の支配の象徴であった元号制が廃止され、それ以降権力者として名乗りを挙げたのは毛沢東であった。毛沢東は大躍進政策を掲げ国民に過酷なノルマを課し強引な経済成長推進していったが、これが失敗に終わり失脚した。再び権力を奪還するために1960年代後半から1970年代前半にかけて文化大革命を起こしたわけだが、特異であるのは中国伝来の文化を徹底的に排斥していったことである。根本は毛沢東が仕掛けた権力闘争ではあるが、革命の謳い文句は中国伝来の伝来の文化や資本主義文化を駆逐し新しい社会主義文化を創造しようというものだった。しかしながら、狂気とも呼べるほど毛沢東は中国国内をいわば内戦状態にまで混乱させ、多くの文化遺産や知識人などが犠牲になった。
なぜ自国の文化を疲弊してまで革命を起こす必要があるのか?…なかなか理解し難いが、どうやらここにも元号が起因しているように思える。元号制を廃止した中国の反作用として文化大革命が起きたのではなかろうか?
文化大革命の思想的特徴として儒教思想の否定が挙げられるが、儒家を悪人と見なし孔子を見立てた人形を壊して遊んでいたという記録がある。さらに、儒教思想に特徴的だった男尊女卑の延長線上にある纏足という風習をなくしたという記録もあるが、纏足がいつ始まったかは判然とはしないが、およそ唐の末期から近代までその風習が残り、清の皇帝から不衛生であるとして廃止するように言われたが、それでもなお残っていた。
実に1000年余りの歴史がある。それをいとも簡単に手のひらを返したように否定するというのは、近代化の風潮を超えたものが影響していると言える。
平成という元号は偽作部分からの引用のため、平成では偽造問題が多い!?】
儒教の経典のひとつに『書経』がある。 古代中国の政治・政教に関する訓話をまとめたもので中国最古の歴史書である。この書経は今文尚書、古文尚書、偽古文尚書の三種類がある。あの有名な三国志の次の時代にあたる西晋時代、永嘉の乱が起こり古文尚書 16篇は紛失した。さらに、偽古文尚書というのは読んで字のごとく誰かの手によって偽作されたもので、梅さくという人物が東晋の時代に偽書である古文尚書58篇を献上した。書経という文化遺産レベルの文献に太古の昔晋の時代、偽作して書いた人がいたのだ。
平成の元号はこの書経の偽作部分からの出典であるが、元号を決定した当初、この点を問題視する専門家がいたのも事実であった。
平成に入って偽造問題がやけに多いように思えるが、私はこの平成という元号の出典のひとつが偽古文書から採用されていることを理由のひとつに挙げたいと思うのだ。
【645年の大化の改新以降、元号制も天皇制も政治も安定せず!?】
645年に中大兄皇子が蘇我入鹿を殺し、大化の改新を行ったというのはご存知かと思いますが、日本最初の元号はこの大化であることになっている。
しかしながら、歴史書を詳しく読んでみると、元号の使用は701年の大宝律令制定まで不確定なので元号が散らばっている感がある。それに連動してか政局も安定していない。大臣に蘇我入鹿の親族を起用している。歴史家の中には初代の元号は大宝律令制定時の大宝であるとさえ主張する人もいるくらいである。大化の改新に大宝律令と聞いて気づかれた方もいると思うが、始まりの音はタ音である。
この音は姓名学的には闘争・安定を表す音であり、ア段から始まる。ア段から始まる音ほど積極性を表し、オ段は消極性を表す意味合いが出てくる。
安定と積極性、そして闘争と繁栄…さらに享楽性を表すこのタ音から始まる2つの元号は注目すべきものである。
昭和はきめ細かい時代だったはず⁉
時代の特性を鑑みる際に、私はとりわけ文字の音を重視するということを繰り返し述べてきた。日本には「言霊」という言葉があるが発する言葉の発音によってその性質が決まるというもので、私はこの考えに基本的には賛成である。
※「基本的には」という表現の中には「もちろん例外も含まれるが…」というニュアンスを込めているのである。「絶対的にこうだ」という決めつけ方はよろしくないという立場に立っている。
では、昭和の時代は昭和の読みのシ音から時代が形成される部分が大きいと私は考えている。シ音…しっかり者でリアリスト、冷酷性にまで発展するケースもあり、性格はなぜか「せせこましい」人が実に多い。
このちょっとコワいシ音を持つ人は、仕事で成功することが多いのも特徴的だ。このシ音からはじまる昭和だから、せせこましい時代だったのではないか?と私なりに分析しているのだ。
第二次世界大戦中に婦人に向かって倹約をすすめ贅沢を戒めるため「パーマネントは禁止」という貼り紙をしていたという記事を見かけた記憶がある。つまり、細部に渡って一億総火の玉…戦争へと物心両面で動員しようということなのだろうが、平成に比べて細部まで国が国民の生活について口出ししてきたのは、まさに第二次世界大戦下の昭和の時代だったのではなかろうか?
どっちの時代がどれだけせせこましいとかいう比較はやりづらいかもしれないが、昭和の時代はせせこましいことを言う時代だったように思う。ゆとり教育というのは、やはり平成が作った教育システムではなかろうか? 受験戦争という社会現象もシ音の昭和がもたらしたとも解釈できる。
大地震が起きてもダメージが少ない地盤・火山噴火が想定されにくい・台風直撃の可能性が低い・大干ばつの水源問題や、大雨の洪水被害が少ない・東京からの距離が60km以上100km未満・高速道路と高速鉄道が整備されているところが良いように思います。
新元号「令和」が発表された時から、私は「REUWA」の響きも字も好きです。
『万葉集』の梅花の歌、三十二首の序文
『初春の令月(れいげつ)にして 気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす』
の中から、「令月」と「風和らぎ」という部分から引用され、品がありますし、
『beautiful harmony』と現すのも素敵!